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お 寺 の こ と
お寺と神社の違い
「寺院」はインドの釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が悟りを開き、仏陀(覚った人)となり人々に教えを説いたものが仏教であり、それが経典(お経)としてインドから中国、そして日本へと伝わってきた仏法を受け継ぎ、護りそして広めていくための施設です。
これに対して「神社」は日本古来より、日本人の精神性のなかにある八百万の神々を、それぞれの「神社」が奉り、信仰するために作られた施設であり、神道(しんとう)と呼ばれ、本来お寺と神社は全く別の施設です。
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真宗大谷派とは
日本の仏教は、奈良時代には南都六宗と言われ、六つの宗派があり、さらに平安時代に天台宗と真言宗が加わって南都北嶺の八宗となりました。
時代が下り鎌倉時代に、法然上人が興された浄土宗、親鸞聖人の浄土真宗、また曹洞宗、臨済宗、日蓮宗などができ、現在の日本の仏教宗派がほぼできあがります。法然上人が本願念仏による救いを説いて浄土宗をたてられ、その弟子であった親鸞聖人は、当時の政権に弾圧を加えられて流罪になりながらも、各地で懸命に生きる「いなか」の人々と共に暮らし、すべての人が等しく救われていく道として、念仏の教えを伝えていかれました。
そしてこのような聖人の願いと生き様は、教えに出遇って生きる喜びを見い出した多くの方々のご懇念によって、今日に至るまで相続されています。真宗大谷派はその聖人の教えを守る浄土真宗の中の東本願寺を本山とする一派です。
通称、お東さんと呼ばれ、私たちは真宗と呼びます。
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門徒と檀家の違い
檀家とは、サンスクリット語のダーナパティという布施をする人という言葉から、鎌倉時代以降に使われだし、信者の所属する寺院を檀那寺と呼び、寺に所属する者を檀家と呼んで世襲的に寺院を維持するようになりました。一方、浄土真宗では同じ教えを共に聞く「一門の徒輩」として、門徒と呼びます。これは浄土真宗の教えが家よりもまず個を重んじ、個の救いが家、社会に広まることを願っているためです。
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お経とは
「お経」の「経」とは、もともとサンスクリット語で「たて糸」を意味する「スートラ」を訳した言葉で、「教えを貫いて散逸させない」という意味があります。お釈迦様が亡くなった後、口伝で伝えられていた教えを弟子達が確認し合い、文書化されお経となりました。それが中国にわたり漢文に翻訳されたものが、現在日本に伝わっているお経です。
お経は数えきれないほどたくさんありますが、宗派によって大切にしているお経は異なります。「般若心経」は天台宗や真言宗、法華経は法華宗や日蓮宗で用いられます。浄土真宗では、浄土三部経と呼ばれる「無量寿経(むりょうじゅきょう)」、「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」、「阿弥陀経(あみだきょう)」の3つがあります。他にお経ではありませんが、親鸞聖人が著した「正信偈」も多く用います。
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正信偈(しょうしんげ)とは
親鸞聖人主著『教行信証』の「行巻」最後の偈文で、正確には「正信念仏偈」といいます。
『仏説無量寿経』の本願念仏の道理と救いが述べられた依経分と、七高僧が本願念仏を正しく解釈した伝統を述べた依釈分の二段構成になります。「正信念仏偈」の名が語るように、本願念仏を正しく信じた人々の生きざまと伝統が親鸞聖人まで届いた感動を格調高い漢詩の偈(歌)に表現された、いわば「生命の讃歌」です。正信偈は貴賤貧富問わず文字の読めない民衆にも偈(歌)として広く伝わっており、真宗門徒は朝夕欠かさずお勤めしていました。
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お寺での作法
神社のように手水舎で手を清めたりする作法は特にありませんが、本堂に入る時や本尊の阿弥陀如来を横切ったりする場合、本尊に向かって一礼のち合掌礼拝・念仏をします。
焼香の際は、真宗では利き手で抹香を摘みそのまま香炉に2回いれるだけです。線香は立てずに、香炉の幅に揃えて折り、寝かせて入れます。お内仏は朝に開け、夕方閉めるのが望ましいです。また、普段のご参詣などで黒服である必要はありませんが、もし門徒輪袈裟があればご着用ください。
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お守りや願い事について
お寺は本来、仏教の教えを聞く場であり、神様にお願いをする場ではありません。自らの生き方を尋ね、今あるこの命に向き合い感謝し生きる力を聞法から得ます。決して自分の欲を仏様に頼るものではありません。また、お守りというものも、神道の神社の考え方なので仏教寺院にはありません。
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よくある迷信
仏滅、友引といった六曜は本来仏教とは全く関係のない言葉遊びです。
もともと友引は共引という引き分けをさし、仏滅も物滅という物がなくなり心機一転を表す文字でした。だから友引に葬儀をしてはいけないということはありません。
また四十九日を3ヶ月にまたいではいけないという人がいますが、これは三月(みつき)→身付(みつき)と、四十九日と合わせて、「始終、苦(しじゅうく)が身に付く」というゴロ合わせの迷信ですので、そのような教えはありません。
お清めの塩というものについても、仏教では用いません。本来は神道の考えで、「死」を穢れと考えているからです。仏教では、生も死も同じく尊い命の営みであるので、塩をまいたりすることはありません。
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清め塩は必要?
真宗では必要ありません。
清め塩は、もともと神道で用いられていたもので、死を”穢れ”(けがれ)とし、穢れを祓うために塩で身体を清めます。浄土真宗では、死を穢れとすることはありません。
よって、清め塩は必要ありません。
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お焼香について
下記の順序で行います。
1.ご本尊を仰ぎ見ます。
2.片方の手を卓端に添え、香を2回つまんで香炉へ入れます。※真宗大谷派では2回です。また、焼香前に一度お香を額に近づける必要はありません。
3.合掌します。
4.礼拝
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合掌のやり方
一輪念珠と二輪念珠で少し持ち方が違います。
一輪念珠:親珠を下にし、手の親指と人差し指の間に数珠をかけます。
二輪念珠:親珠は親指のところではさみ、房は左側前よりにたらします。念珠は左手に持ち、合掌の時に右手を通し両手にかけます。
合掌の際は胸の前あたりに両手がくるようにします。
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卒塔婆は?
お墓などで卒塔婆を立てているのをよく見受けられますが、浄土真宗では卒塔婆を用いません。そのため卒塔婆立てなども不要です。
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お布施を渡すタイミング
お布施はあくまで、感謝の意お供えするので、決まったタイミングというのはありませんが、法要が終わって、お茶をいただいている時に、お渡ししてもらうことが多いです。
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報恩講とは
親鸞聖人の祥月命日の前後に勤める法要です。
報恩講(ほうおんこう)は浄土真宗の宗祖である、親鸞(しんらん)聖人の御命日、11月28日前後に勤める聞法・念仏の集会(しゅうえ)です。ぜひご気軽に足をお運びください。
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お彼岸はいつから、いつまで
お彼岸は春分、秋分の日を目安に前後3日間となっています。当院では、春分・秋分前後のいづれかの1日で、お勤めをしています。
お寺についてこれだけ知っていれば、
あなたも立派な“お寺通”です。